●「野口英世」…大宴会が活力源
やがて23歳になった彼は、いよいよアメリカへ渡航することになるのですが、出航前に検疫官時代の友人を集めてドンチャン騒ぎをして、何と渡航費を使い果たしてしまいます。
しかし、終生の恩師であるとともに経済的な協力者であった血脇守乃助の援助によって無事アメリカへ渡ることができました。
アメリカではロックフェラー研究所やペンシルバニア大学などで寝る間も惜しんで働き、蛇毒・梅毒・黄熱病・トラコーマ・小児麻痺など1人の学者が一生かかるような研究をいくつもこなしました。
こんな彼の唯一の息抜き法は、渡航前にしたのと同じドンチャン騒ぎでした。
行きつけの日本料理店で酒を十本単位で注文したり、レストランに友人たちを誘いメニューの品全部を一度に持ってこさせたりしました。
もちろん翌日の胃腸の調子はしばしば最悪だったようですが、このストレス解消が新たな研究の活力となったことでしょう。
その後、ヨーロッパ各地での講演活動、南米やアフリカでの黄熱病の研究と忙しい日々を送り38歳の時、帝国学院からの恩賜賞受賞のために一時帰国をしています。
この時「志しを得ざれば、再びこの地を踏まず」という固い決心と共に後にした故郷猪苗代にも15年ぶりに足を踏み入れています。
たった1回の里帰りでしたがそれに安心したかのように3年後母シカが亡くなりました。
そして昭和3年(1928年)、彼は現在のガーナの首都アクラで黄熱病により51歳の生涯を閉じました。
黄熱病研究のために滞在したメキシコ・メリダのユカタン大学にある彼の胸像は、遠く遙かな日本の方向をまっすぐに、そして静かに見つめています。
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